戦場の黒猫ミッドナイト

僕の名前はミッドナイト。
自分でそう名乗ることにした。
なぜなら、僕には名前をくれた人間の記憶がないからだ。父親が誰だったのか、母親がどんな声をしていたのか。兄弟が何匹いたのか。それさえ、もうはっきりとは思い出せない。
ただ、ひとつだけ覚えている。
母さんの温もり。
小さな僕の体を、優しく舐めてくれたこと。眠っている僕のそばにいてくれたこと。そして、僕には一緒に生まれた仲間がいたこと。
あの頃、僕がいた場所は世界で一番美しい場所だった。
色とりどりの花が咲き、見たこともない植物が揺れていた。甘い香りのする果実がたくさん実り、風が吹くたびに、森全体が歌っているようだった。
僕は、そこが永遠に続く場所だと思っていた。
人間たちは、そこをきっと「楽園」と呼ぶのだろう。
でも、楽園は永遠ではなかった。
ある日、空から恐ろしい音が響いた。
遠くで何かが壊れる音がした。
次の瞬間、世界が白く染まった。
どこかの国と、どこかの国が始めた争い。
僕には理由なんて分からなかった。
ただ分かったことは、あの一瞬で、僕の世界が消えたということだけだった。
母さんはいなくなった。
父さんもいなくなった。
兄弟たちの声も、もう聞こえない。
花も、森も、果実も。
美しかったものは、すべて灰になった。
あの爆弾が、全部奪っていった。
そして僕自身も、傷ついた。
右目を失った。
もう以前のように世界を見ることはできなくなった。
でも、不思議なことが起きた。
失った代わりに、僕は普通の猫には見えないものを見るようになった。
目を閉じる。
すると、そこには昔の楽園が戻ってくる。
母さんの匂い。
兄弟たちの気配。
風に揺れる花。
失われたはずの世界が、もう一度僕の前に現れる。
でも、左目を開けると、そこにあるのは別の世界だった。
静まり返った大地。
壊れた建物。
消えてしまった命の気配。
僕は思った。
人間は、なんて愚かな生き物なのだろう。
自分たちで美しい世界を作ることができるのに、自分たちの手でそれを壊してしまう。
僕は、戦争を始めた者たちを許さない。
絶対に。
けれど、憎しみに立ち止まっている時間はなかった。
僕は生きなければならなかった。
この死んだ世界から逃げなければならなかった。
食べ物はない。
飲める水もほとんどない。
川には、もう昔のような命の姿はなかった。
だから僕は走った。
真夜中の暗闇の中を。
昼間は身を隠し、夜になると前へ進む。
どこへ向かっているのかは分からない。
その先に何があるのかも分からない。
でも、止まることだけはできなかった。
僕の名前はミッドナイト。
楽園を失った猫。
そして、失われた世界を見ることができる、ただ一匹の猫。
僕は今日も、闇の中を走り続ける。
いつか、もう一度。
命のある世界へたどり着くために。
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