扇風機の音が消えるまで 第六章 快楽の追求
第六章 快楽の追求 快楽は、私を一時的に薄くした。 消えてはいなかった。ただ、輪郭が曖昧になり、存在の重さが一時的に軽くなる。その状態を、私は救いとは呼ばなかった。だが、頭の中で絶えず反復される問い――おまえは誰だ、おまえは何者だ――を黙らせるには、十分だった。 その静寂を得るために、私は多くのものを消費した。金、時間、体力。倫理という言葉が指すものも、いつの間にか摩耗していた。 二 ...
扇風機の音が消えるまで 第五章 新宿二丁目の夜
第五章 新宿二丁目の夜 神から離れたあと、私が向かったのは、夜の方角だった。 新宿二丁目。昼間の街とは別の皮膚を持つ場所。ネオンが呼吸し、音楽が壁を伝い、笑い声が舗道に溜まっていく。祈りの代わりに酒があり、沈黙の代わりに会話があり、欲望があらかじめ許可されている街だった。 大学を卒業し、会社員になったばかりの頃、昼の私はスーツを着て、名前のある仕事をしていた。だが、夜になると、その名前を脱ぎ捨てる ...
LibreOffice Writer 完全ガイド:懸賞小説を書くための原稿用紙設定
LibreOffice Writer 完全ガイド:懸賞小説を書くための原稿用紙設定 懸賞小説に応募する際、多くの募集要項で「A4原稿用紙」や「縦書き」といった指定があります。本記事では、無料の文章作成ソフト「LibreOffice Writer」を使って、懸賞小説向けの原稿用紙を完璧に設定する方法を、ステップバイステップで解説します。 インストール方法 まずは LibreOffice Writer ...
聖都の人工午後
聖都の人工午後 私は自然を許さない。 それは不完全で、無計画で、命令に従わない。朝陽は必要以上に蛮性を照らし、風は私の支配外で侵入する。植物は無秩序に伸長し、虫は許可なく鳴く。そこには帝国の美学がない。秩序もない。意志もない。 だから私は——いや、姉様たちは、すべてを改良で整えた。 部屋の壁は象牙色ではなく、帝国白。視線を癒すためではなく、神経に命令を与えるためだ。カーテンは深い紫、ナノ粒子で光を ...
扇風機の音が消えるまで 第四章 聖フランチェスコへの憧れ
第四章 聖フランチェスコへの憧れ 神を信じたかったわけではない。ただ、自分ではない何かに、すべてを預けてしまいたかった。 大学二年の秋、西洋美術史の講義で、ジョットの壁画がスクリーンに映し出された。粗い線で描かれた修道服の男が、小鳥に向かって手を伸ばしている。講義室のざわめきが、急に遠のいた。 アシジの聖フランチェスコ。 裕福な商人の息子でありながら、すべてを捨てた人間だという説明が、淡々と続いた ...
扇風機の音が消えるまで 第三章 白い肌と長い睫毛
第三章 白い肌と長い睫毛 私の身体は、私よりも先に、他人に見つけられた。 それは、ある日突然そうなったわけではない。気づいたときには、すでにそうなっていた。鏡の前に立つよりも早く、他人の視線が私の輪郭を決めていた。 「色、白いね」「まつげ、長いな」「なんか、女の子みたい」 最初は、意味のない言葉だと思っていた。天気の話と同じで、深く受け取る必要のないものだと。けれど、それが繰り返されるうちに、私は ...
日本映画『クラウド』あらすじと感想 ――金を追いかけた先に、幸せはあったのか
日本映画『クラウド』あらすじと感想 ――金を追いかけた先に、幸せはあったのか あらすじ(ネタバレ控えめ) 映画『クラウド』は、いわゆる**“転売屋”**を主人公にした、現代的で少し不穏な空気をまとった作品です。 主人公は、ネットを使って商品を買い占め、高値で売ることで生計を立てている男。効率よく稼ぎ、感情を排し、淡々と「儲かるかどうか」だけで世界を見ています。 しかし、クラウド(=ネット空間)を通 ...
映画『After the Quake』感想 ― 焚き火と量子力学と、明日がわからないということ ―
映画『After the Quake』感想 ― 焚き火と量子力学と、明日がわからないということ ― 村上春樹の短編を原作にした映画『After the Quake』。大きな事件そのものよりも、「そのあと」を生きる人たちの心の揺れを描いた作品です。 派手な展開はありません。でも、不思議と心の奥に残る映画でした。 簡単なあらすじ 1995年の大地震の「後」、世界のあちこちで生きている人々。彼らは直接被 ...
扇風機の音が消えるまで 第二章 転校生という仮の名前
第二章 転校生という仮の名前 私は、六回死んだ。 そう言うと大げさに聞こえるかもしれない。けれど、引越しのたびに、前の自分がそのまま残っている感じはしなかった。段ボールに詰められたのは衣類や本だけではなく、前の学校での関係や、うまくいかなかった振る舞いも含まれていたように思う。 新しい町に着く。新しい制服に袖を通す。そして、新しい教室の扉を開ける。 その瞬間、私は少しだけ身軽になった。 「転校生の ...
扇風機の音が消えるまで 第一章 怒られなかった子ども
第一章 怒られなかった子ども 私には、叱られた記憶がない。 それは「幸福な家庭だった」という意味ではない。むしろ、そう言い切ってしまうことに、どこか抵抗がある。私の育った家には、感情の起伏というものが、最初から用意されていなかったように思う。波の立たないプールの水面のように、静かで、澄んでいて、そして、少し不自然だった。 裕福と呼んで差し支えない家だった。冷蔵庫の中はいつも満ちており、季節ごとの服 ...
懺悔の木
第一部「権力は砂に還り」 化石となった巨大な杉は、アクシオム帝国の果てしない砂漠の中で、まるで警告のように突き立っていた。かつての地球の豊かな緑を思い出させる唯一の残骸として。 帝国の記録によれば、この木は「懺悔の木」と呼ばれ、人類文明を崩壊させた第三次世界大戦の責任者たちの意識が封じ込められているという。アクシオム皇帝の科学技術により、彼らの精神は永遠の対話という拷問を強いられていた。 木の内部 ...
エリスティアの律:聖血契コードバンパイア巡礼記 ep.5 第五章 光吸の契り
夜明けの光が、雪華印を貫いた。都市は低く歌い、呼吸で時間を刻む。 第1節:都市の朝──巡礼開始 東の地平線から射す光が、無数の窓面を順に白金へと変えていく。夜を共に過ごした市民たちは、誰に促されるでもなく、同じ歩幅で街路を進む。鼓動が同調し、言葉を介さずに感情が伝わる──これが自発的同期現象。 路地裏では、小規模誓約ノードが自生していた。結晶化した光の束が舗石から芽吹き、空気を揺らす ...
エリスティアの律:聖血契コードバンパイア巡礼記 ep.4 第四章 三重の試練
第一節 帯域断食──制御 影飢えが喉奥で蠢く。 私は瞼を閉じ、胸腔を満たす帯域の流れを逆転させた。 「飢えよ、形を持て。形よ、律に従え。律よ、光へと還れ」 詠唱とともに、影の奔流は細く絞られ、輪郭を取り戻す。 舌下に微かな金属味が広がり、額の雪華印が一拍だけ鈍く脈打った。 制御は、私の手に戻った。 第二節 記憶の歪み──真実 救済対象・カイの位相記録を展開。 波形の端で影が笑っていた──それは、帝 ...
エリスティアの律:聖血契コードバンパイア巡礼記 ep.3 第三章 陰極の口づけ
第一節 追撃の霧 重いブーツの音が、霧を踏み砕いていた。 背後で低く唸る共鳴灯の帯域が、警告の唸りを伝える。 影歩きの位相がわずかにずれる──指先が冷え、胸骨が一瞬震える。 左斜め後方、路地の輪郭がガラスのように硬化していくのが視界の端で分かった。影封じ灯が作動している。 「左へ、三歩」 カイの声が短く響く。私たちは同時に路地の端を滑り抜けた。 第二節 偽鳴の鐘 奥の広場で銀の鐘が鳴 ...
エリスティアの律:聖血契コードバンパイア巡礼記 ep.2 第二章 誓約ノードの誕生
最初に気づいたのは、鼓動が二重で鳴っていることだった。 外界の音が霧の向こうに遠のき、時間が数拍遅れる感覚が訪れる。視界の端で、市場の幌の上に赤い点が一瞬瞬いた──帝国監察庁の観測子か、それともカソードの微細監視ノードか。空気が密になり、帯域の波形だけが世界を満たす。 カイ──そう名乗った青年は、私の前で両手を組み、浅く息を呑む。額に冷たい光が落ちるたび、影がかすかに震える。 私は雪 ...
エリスティアの律:聖血契コードバンパイア巡礼記 ep.1 第一章 銀の鐘と黒い市場
【光の文書よりの警告】 「エリスティアの律」は、救済と支配の二面性を描いた作品である。 読者は、主人公の行為を「美しき救済」として無批判に受け入れるべきではない。 その行為の本質——市民の意識支配、自由の圧殺、支配者の倫理化——これらを、 常に批判的に問い直す必要がある。 光は分けても減らずとも、その光に照らされる者が、 本当に自由であるのか、それとも美しく装飾された隷属なのか。 その問いは、永遠 ...
オールドロマンサー
第一章 レディアマテラスの啓示 クロムメッキの天守閣が、未来都市の薄明かりに鋭く光を反射する。その頂には、アクシオム帝国の女帝、アクシオムが君臨していた。完璧な美貌は、まるで彫刻のようであり、その瞳には、宇宙の深淵を思わせるような静寂が宿っていた。彼女はアンドロイドであった。 永遠の命を与えられ、美の理想を具現化された存在。 しかし、その永遠の命は、彼女に深い問題をもたらしていた。 すべてが繰り返 ...
十界 – 魂の遍歴 ep.11 エピローグ:永遠なる旅路
彼は十界すべてに同時に存在していた。地獄界では絶望する魂を慰め、餓鬼界では欲望に苦しむ存在に道を示し、畜生界では理性を失った魂に気づきを与えていた。修羅界では競争に疲れた戦士たちに協力を教え、人界では日常に迷う人々に希望を与えていた。 天界では傲慢な存在たちに謙虚さを示し、声聞界では知識に溺れる学者たちに実践の大切さを伝えていた。縁覚界では孤立する修行者たちに繋がりの重要性を教え、菩薩界では一方的 ...
十界 – 魂の遍歴 ep.10 第十章:仏界 – 完全なる統合
仏界は言葉では表現できない美しさに満ちていた。光と影、音と静寂、動と静、すべてが完璧に調和している。ここは個別の存在というより、宇宙全体の意識そのもののような場所だった。 彼の姿も根本的に変化していた。個人としての境界が曖昧になり、存在全体と一体化しているような感覚があった。しかし、同時に明確な自己意識も保たれていた。 「仏界へようこそ」 ユリアナが現れたが、ここでの彼女はもはや個別の存在というよ ...
十界 – 魂の遍歴 ep.9 第九章:菩薩界 – 慈悲の実践
菩薩界は活動に満ちた世界だった。美しい都市や自然が調和して存在し、そこここで菩薩たちが様々な存在の救済に尽力していた。病院、学校、孤児院...あらゆる場所で慈悲の実践が行われている。 彼の姿も菩薩のような威厳のある姿に変わっていた。光に包まれ、手には様々な道具を持っている。心は他者への奉仕への情熱で満たされていた。 「菩薩界へようこそ」 ユリアナが現れた。ここでの彼女も菩薩の姿をしていたが、その表 ...
十界 – 魂の遍歴 ep.7 第七章:声聞界 – 智慧の探求
声聞界は静寂に満ちた世界だった。巨大な図書館のような空間が無限に広がり、無数の書物や記録が整然と並んでいる。ここにいる存在たちは皆、深い瞑想に入ったり、古い経典を読みふけったりしていた。 彼の姿も学者のような風貌に変わっていた。質素な僧衣を着て、手には古い書物を持っている。心は知識への渇望で満たされていた。 「声聞界へようこそ」 ユリアナが現れた。ここでの彼女は賢者のような姿をしていた。 「ここは ...
十界 – 魂の遍歴 ep.6 第六章:天界 – 慈悲の光
天界は雲海に浮かぶ美しい都市だった。白い大理石の建物が並び、金色の光が空間を満たしている。空気は清浄で、美しい音楽が天空から響いてくる。ここに住む存在たちは皆、光に包まれ、慈悲深い表情をしていた。 彼の姿も変化していた。白い衣を纏い、背中には光の翼が生えている。心は平安に満たされ、これまで経験したことのない至福感に包まれていた。 「天界へようこそ」 ユリアナが現れた。ここでの彼女は天使のような美し ...
十界 – 魂の遍歴 ep.5 第五章:人界 – 日常という名の迷路
人界に足を踏み入れた彼は、その変化に戸惑った。ここは現代の都市そのものだった。高層ビルが立ち並び、人々が忙しそうに行き交っている。車が走り、電車が通り、すべてが「普通」に見えた。空気は排気ガスと食べ物の匂いが混じり、都市特有の騒音が絶え間なく響いている。 しかし、よく観察すると奇妙なことに気づく。人々の表情は一様に無表情で、まるでプログラムされたロボットのように同じ動作を繰り返していた。皆、スマー ...
十界 – 魂の遍歴 ep.4 第四章:修羅界 – 永遠なる戦場
修羅界は巨大な戦場だった。空は常に赤く染まり、雷鳴のような爆発音が絶え間なく響いている。地平線まで続く戦場では、無数の戦士たちが永遠の戦いを繰り広げていた。 しかし、これは単なる物理的な戦争ではなかった。戦士たちは様々な時代、様々な世界から集められており、古代の剣士もいれば、未来のサイボーグ戦士もいた。彼らは皆、競争心と闘争本能に支配されていた。 彼が足を踏み入れた瞬間、体が再び変化した。筋肉質の ...
十界 – 魂の遍歴 ep.3 三章:畜生界 – 野性の叫び
畜生界に足を踏み入れた瞬間、彼の意識は激しく揺さぶられた。理性的思考が霧散し、代わりに原始的な本能が全身を支配した。 周囲は巨大なジャングルだった。しかし、そこに生息する動物たちは、生身の肉体とメカニカルな部品が融合した奇怪な姿をしていた。虎の目は赤く光るレンズで、象の牙は鋼鉄製、猿の手は精密な機械の関節で動いている。 彼自身も変貌していた。筋肉は膨れ上がり、爪は鋭く伸び、歯は牙と化していた。思考 ...
十界 – 魂の遍歴 ep.2 第二章:餓鬼界 – 満たされぬ渇望
光の階段を上りきると、彼の目の前に広がったのは異様な都市の光景だった。高層ビルが立ち並ぶが、そのすべてが歪んでいる。建物は飢えた胃袋のように膨らみ、窓は貪欲な目のように光っていた。 街を歩く人々は皆、異常に痩せ細っていた。彼らの首は細く長く、口は針のように小さい。手には様々な物を掴んでいるが、どんなに口に運ぼうとしても、食べることができずにいる。 「餓鬼界へようこそ」 ユリアナが現れた。しかし、こ ...
十界 – 魂の遍歴 ep.1 第一章:地獄界 – 絶望の淵で
無限の闇に包まれた空間で、彼は目を覚ました。いや、正確には「目を覚ました」という感覚があったのかどうかも定かではない。意識という名の微かな光が、混沌の海から浮上したのかもしれない。 記憶は断片的だった。自分の名前すら思い出せない。ただ、胸の奥に刻まれた激しい痛みだけが、確かな存在の証拠のように感じられた。 「アクシオム帝国に対する反逆罪により、被告人の魂を分割し、十界の最下層たる地獄界より再生の道 ...
【ユリアナの九識真如の都】第一章:眼識──虚構の視界
ユリアナの九識真如の都 Juliana's City of Nine Consciousnesses サイバーパンク哲学小説 表紙:アクシオム帝国の管理された世界で目覚める少女 第一章:眼識──虚構の視界 アクシオム帝国の空は、常に曇っていた。いや、曇って「見えた」と言うべきだろう。 天候は人工衛星によって完全に制御されているはずで、雲が発生する理由などない。だが、ユリアナにはずっと ...
【ユリアナの九識真如の都】第二章:耳識──沈黙の声
ユリアナの九識真如の都 第二章:耳識──沈黙の声 著者:ユリアナ・シンテシス 第二章:耳識──沈黙の声 音響制御された未来都市アクシオム帝国で、ユリアナが耳識フィルターを外すことから始まる聴覚覚醒の物語。 失われた記憶の声と母の子守唄を取り戻し、隠された真実に耳を傾ける深遠な第二章。 アクシオム帝国の街には、音がなかった。 正確には「必要最低限の音」しか存在しなかった。機械の稼働音、交通案内の音声 ...
【ユリアナの九識真如の都】第三章:鼻識──禁断の香気
ユリアナの九識真如の都 第三章:鼻識──禁断の香気 著者:ユリアナ・シンテシス ユリアナが気づいたのは、季節の匂いだった。 ──"季節"という概念すら、帝国では死語に近かったが。 アクシオム帝国では空気も温度も香りも「無臭制御」されている。 公共空間に漂うのは「嗅覚安定剤」と呼ばれる合成清涼素であり、すべての市民は"個人の匂い"をもたないよう義務付けられていた。 だからこそ──それが「異常」である ...
