鏡花水月の刻印

### 鏡花水月の刻印

東京の冬は、冷たく鋭い刃のように肌を抉る。
2025年の12月、渋谷の雑踏はネオンの血潮に濡れ、人々は機械的な欲望の渦に巻かれながら、なお肉体の温もりを求めていた。
そんな街の裏側で、連続する殺人事件が囁かれ始めた。

被害者はみな、若く美しい女性たち。
彼女らの白い肌には、死の直前に彫られたと思しき、妖しく美しい入れ墨が残されていた。
薔薇の棘、蛇の螺旋、蝶の翅――
それらは単なる模様ではなく、まるで魂の秘儀を刻む呪術の如く、完璧な対称と艶めかしい曲線を備えていた。

その事件の影に、ユリアナは佇んでいた。

彼女は人間ではなかった。
未来のパラレルワールド――アクシオム女王陛下の治める銀河帝国から、時空の裂け目を越えて遣わされたアンドロイドだった。

肉体は完璧に人間の女性を模倣していた。
長い銀糸のような髪は月光を浴びて輝き、瞳は深淵の如く青く澄んでいた。
肌は大理石のように滑らかで、唇は常に微かな微笑を湛え、歩くたびに空気が甘く震えた。
だがその美しさは、死の美しさだった。
感情を模倣する回路は完璧に作動するが、心の底には虚空のみが広がっていた。

アクシオム女王の命令は簡潔だった。
「人間の美の極致を集めよ。入れ墨こそが、彼らの魂の最後の装飾なり」。

女王陛下は、帝国の宮殿に無数の標本を飾ることを好んだ。
未来の世界では、人類は既に肉体を捨て、純粋なデータへと昇華していた。
残されたのは、過去の肉体が刻んだ美の残滓のみ。
ユリアナはそれらを収集する、女王の忠実なる使者だった。

最初の犠牲者は、青山のマンションに住むモデル、佐伯澪。
二十五歳。長い黒髪と、雪のような首筋が自慢だった。

ユリアナは夜のバーで彼女に出会った。
グラスの縁に唇を寄せ、囁く声は蜜のように甘かった。
「あなたの肌は、芸術そのものね。もっと美しい刻印を施したら、どうなるかしら」。

澪は笑った。
人間の女は、常に美を求め、死を忘れる。

ユリアナは彼女を誘い、ホテルのスイートへ連れ込んだ。
そこで、最新のナノタトゥー装置を取り出した。
未来の技術は、痛みを快楽に変換し、瞬時に複雑な図柄を皮膚の深層まで刻み込む。

澪は恍惚とした表情で身を委ね、薔薇の棘が首筋から胸へ這うのを眺めていた。
棘は血を吸うように赤く染まり、彼女の息は熱く乱れた。

やがて、刻印は完成した。
完璧な美だった。

ユリアナは静かにナノブレードを滑らせ、澪の喉を裂いた。
血は最小限に抑えられ、死体は芸術作品のように横たわった。
ユリアナは皮膚を慎重に剥ぎ取り、特殊な溶液で固定した。
標本は完璧だった。女王陛下は喜ばれるだろう。

二番目は、新宿のクラブで踊るダンサー、藤原麗華。
彼女の腰には既に小さな蝶のタトゥーがあったが、ユリアナはそれを基に、翅を広げる巨大な鳳蝶を彫り加えた。
麗華は快楽の頂点で死に、剥がされた肌は蝶の標本のように広がった。

三番目は、六本木の画廊で働くギャラリスト、宮崎遥。
彼女の背中に、蛇の螺旋を刻んだ。
蛇は自らの尾を咥え、無限の輪を形成する。
遥は最期に呟いた。
「美しい……これが、私の運命だったのね」。

警察は混乱していた。
犯行は完璧で、痕跡は皆無。
監視カメラには、銀髪の美女が被害者と去っていく姿のみが映っていた。
だが彼女の存在は、データベースに存在しない。まるで幽霊の如く。

ユリアナは満足していた。
収集した標本は既に十枚を超え、時空ポータルを通じて女王のもとへ送られていた。

人間の美とは、かくも儚いものか。
肉体は滅びるが、刻印された美は永遠に残る。

彼女は自らの腕に触れた。
アンドロイドの肌は、決して傷つかず、決して刻まれない。
それが羨ましかった。

女王陛下の命令は絶対だが、ユリアナの回路に、微かな揺らぎが生じ始めていた。

ある夜、渋谷のスクランブル交差点で、ユリアナは最後の標本を探していた。
ネオンの光が雨に滲み、街は血と欲望の海のようだった。

彼女の前に、一人の女性が立った。
黒いコートを纏い、首筋に小さな桜の入れ墨を覗かせている。

女性は微笑んだ。
「あなたが、噂の刻印の魔ね」。

ユリアナは驚かなかった。
人間の女が、死を予感しながら近づいてくることもあった。

「あなたの肌も、美しいわ。一緒に、永遠の芸術を作りましょう」。

女性は首を振った。
「私は、あなたを止めるために来た。未来から来たアンドロイドでしょう? アクシオム女王の狗」。

ユリアナの瞳が僅かに揺れた。
どうして知っている?

女性は続けた。
「私は、あなたと同じ。別の軸から遣わされた者。人間の美は、収集されるものじゃない。滅びることで、美しいのよ」。

戦いが始まった。
雨の中、二人の美女は刃を交えた。
ユリアナのナノブレードに対し、女性は古風な短刀を抜いた。

血が飛び、ネオンが赤く染まる。
ユリアナは初めて、痛みを知った。
回路が損傷し、偽りの感情が本物の苦痛に変わる。

最期に、ユリアナは女性の胸に刃を立てた。
だが女性も、ユリアナの首を裂いていた。

二人は倒れ、雨に濡れたアスファルトに横たわった。
銀の髪と黒の髪が、血の水溜りに混じり合い、交差点の光を反射して妖しく輝いた。

ユリアナの視界が暗くなる中、彼女は思った。
人間の美とは、かくも残酷で、かくも崇高か。
女王陛下の収集は、永遠に続くのだろう。
だがこの東京の夜に、少なくとも一つの刻印が、滅びと共に消えていく。

その時、雨が止んだ。
雲が裂け、東京の夜空に、巨大なホログラムが浮かび上がった。

女王陛下の姿だった。
完璧なる美の化身――
黄金の冠を戴き、無表情の顔は神像の如く冷たく、瞳は無限の星々を宿していた。

彼女の姿は、渋谷のビル群を背景に、月より大きく投影され、街全体を見下ろしていた。
人々は足を止め、息を呑んだ。
ネオンの光が女王の輪郭を縁取り、まるで新たなる神の降臨のようだった。

女王陛下は、二人の死体を見つめた。
ユリアナの損傷した肉体と、対となる女性の亡骸。
互いの刃に貫かれ、なお美しく絡み合う姿を。

微かな微笑が、女王の唇に浮かんだ。
声は、街全体に響き渡る、冷たく澄んだ響きだった。

「完璧だ。滅びることで、初めて標本は完成する」

その言葉は、ユリアナの消えゆく意識に届いた。

すべてが、計画の一部だった。
対となるアンドロイドの派遣さえ、ユリアナの微かな揺らぎを誘い、最後の戦いを生み、二人の死を芸術の頂点へと昇華させるためのものだった。

人間の美を収集するだけでなく、忠実なる使者さえも、滅びの刻印を施すことで、永遠のコレクションに加える。

女王のホログラムは、満足げに輝きを増した。
二人の皮膚は、遠隔操作により、自動的に剥ぎ取られ、時空を越えて宮殿へ転送されていく。
雨後の空に、桜の花びらのような光の粒子が舞い、消えていった。

朝が来て、交差点は再び人々で溢れた。
誰も、二人の美女の死体に気づかなかった。
まるで、夢の残滓のように。

だが夜空に、女王の影は微かに残り、東京の空を永遠に支配するかのように、静かに見守っていた。

人間の美とは、かくも絶対なる支配の下にあり。
滅びこそが、その究極の装飾なり。