名前のない朝 第八章 共生という名の禁欲

共生という名の禁欲
私が彼女と出会ったのは、タイに移住して約一年が経った頃だった。
ある雨の日、私たちは偶然、小さなカフェの軒先で雨宿りをすることになった。
彼女も、私と同じように、傘を持っていなかった。私たちは、言葉を交わさず、ただ並んで雨を眺めていた。
その沈黙が、心地よかった。
説明を求めない沈黙。理解を強要しない距離感。
私は、彼女の横顔を盗み見た。年齢は私より少し年上に見えた。化粧は控えめで、服装もシンプルだった。そして何より、彼女もまた、私と同じように「どこにも属していない」空気を纏っていた。
雨が上がった後、彼女は微笑んで去っていった。その微笑みには、何の期待も含まれていなかった。
それが、私たちの始まりだった。劇的でも、運命的でもない。ただ、二つの孤独が、雨という偶然によって一時的に並んだだけの、ささやかな出会い。
それから、私たちはそのカフェで顔を合わせるたびに、軽く会釈を交わすようになった。
ある日、彼女が読んでいた本の表紙が見えた。それは、私も持っている本だった。
「それ、面白いですか?」
私が訊くと、彼女は少し考えてから答えた。
「面白いというより、静かです」
その答えに、私は深く頷いた。私たちは、「面白さ」ではなく「静けさ」を求める人間だった。
交際が始まったのは、自然な流れだった。告白も、プロポーズも、明確な「始まり」の瞬間はなかった。
関係は、宣言ではなく、生活の堆積によって成立する。
気がつけば、私たちは週に何度も会い、一緒に食事をし、同じ映画を見ていた。そして、やがて同じ屋根の下で暮らすようになった。
彼女は、私に多くを語らなかった。過去についても、家族についても、夢についても。私も、彼女に多くを語らなかった。私たちは、互いの「空白」を尊重し合っていた。
最初の数年間、私たちには性的な関係があった。
だが、それは激しいものでも、頻繁なものでもなかった。月に一度、あるいは二ヶ月に一度。それも、どちらかが「そうすべきだ」と感じたときだけだった。
それは情熱というより「確認作業」に近かった。互いの身体が存在していること、互いに温もりがあること、そして、まだ完全に枯れていないことを確かめるための、定期的な点検。
行為の最中、私は相変わらず天井を見ていた。タイの古い家の天井には、しばしば小さなヤモリが張り付いていた。私は、天井の隅で静かに瞬きをするヤモリを見つめながら、体の下で彼女が息を荒げているのを感じていた。
快楽はあっても、同時に「距離」もあった。
彼女は、私の身体に触れていた。私は、彼女の身体に触れていた。だが、その間に横たわる透明な層だけは、最後まで触れられなかった。
私たちは、身体を使って愛し合っていたのではなく、身体を使って孤独を埋めようとしていただけだった。そして、埋まらない穴を埋める作業には、やがて徒労感が伴うようになる。
セックスが消えたのは、いつだっただろうか。
明確な「最後の日」があったわけではない。ただ、その頻度が減り、間隔が空き、やがて「しなくてもいいこと」のリストに入った。
ある夜、行為が終わった後、彼女がぽつりと言った。
「これ、必要なのかな」
私は答えなかった。なぜなら、私も同じことを考えていたからだ。
それから、私たちの性的な関係は、徐々に頻度を減らしていった。三ヶ月に一度、半年に一度、一年に一度。そして、ついには完全に消滅した。
私たちは、恋人から「共生者」へと進化した。あるいは、退化した。
性がなくなったことで、私たちの関係が壊れることはなかった。
むしろ、関係はより明確になった。私たちは、恋人でも、夫婦でもなく、二つの欠落が寄り添い合っている状態だった。
彼女は、朝早く起きて庭の植物に水をやった。私は、昼過ぎまで寝て、午後から仕事をした。夕方、私たちは一緒に食事を作り、テーブルを挟んで向かい合った。
会話は少なかった。だが、その少なさが苦痛ではなかった。
「今日、ヤモリが三匹いた」
彼女がそう言う。私は頷く。
「そう。増えたね」
それだけの会話で、一日が終わる。
言葉は、しばしば過剰だ。沈黙の方が、より多くを伝えることがある。
私たちが共有していたのは、「存在しないこと」への共感だった。彼女もまた、私と同じように、自分の輪郭を持っていなかった。私たちは、互いの空虚を認め合い、その空虚を埋めようとせず、ただそこに置いておいた。
五年が過ぎ、十年が過ぎ、十五年が過ぎた。
私たちの生活は、ほとんど変化しなかった。同じ家、同じ日課、同じ沈黙。
二十年という歳月は、残酷で、そして優しい。私の身体は老いた。彼女の身体も老いた。かつて「美しい」と評された私の白い肌には、細かい皺が刻まれた。彼女もまた、時間の刻印を身体に受け入れていた。
私たちは、互いの劣化を、黙って見守った。
「太ったね」 「白髪が増えたわよ」
そんな軽口を叩きながら、私たちは鏡の中の自分たちの変化を受け入れた。
枯れることは、自由になることだ。
性的な対象としての価値が失われていくこと。それは恐怖ではなく、ある種の「安堵」だった。もう、誰かの欲望に応える必要がない。もう、美しくあるために努力する必要がない。
十五年目のある夜、私たちはベランダで月を見ていた。
満月だった。白く、冷たく、完璧に丸い。
「私たち、愛し合ってるのかな」
彼女が突然そう訊いた。
私は、長い沈黙の後、答えた。
「わからない。でも、一緒にいる」
彼女は微笑んだ。
「そうだね。一緒にいる」
愛とは何か。私たちは、その定義を知らなかった。
情熱も、嫉妬も、執着もない。だが、離れようとも思わない。互いがいなくなることを想像すると、奇妙な不安が生まれる。それは「喪失の恐怖」ではなく、「鏡を失う恐怖」だった。
彼女は、私の空虚を映す鏡だった。そして、私は、彼女の空虚を映す鏡だった。
私たちは、互いに「家具」になったのだと思う。
なくてはならないもの。でも、普段は意識しないもの。そこに在ることが当たり前すぎて、感謝の言葉さえ忘れてしまうもの。
ある日、彼女が言った。
「もし私が死んだら、あなたはどうする?」
私は少し考えてから答えた。
「たぶん、泣かないと思う」
彼女は笑った。「薄情ね」
「でも」と私は続けた。「たぶん、生きていけないと思う」
彼女は静かに頷いた。
それは愛の告白ではなかった。事実の確認だった。
私は、彼女という「鏡」がなければ、自分の輪郭を保てない。彼女は、私という「観客」がなければ、自分の日常を演じられない。
私たちは、二本の木が絡まり合って一本の大木に見えるように、互いに支え合い、互いに締め付け合って生きていた。
共生とは、緩やかな心中である。
この二十年という時間は、長かったのか、短かったのか。
振り返ってみると、その時間は一つの大きな「静止」だったように思える。何も起こらず、何も変わらず、ただ時間だけが過ぎていった。
だが、その静止は、決して無意味ではなかった。
私たちは、互いに「妥協」し続けた。相手の欠点を受け入れ、自分の欠点を押しつけず、ちょうど良い距離を保ち続けた。
それは、愛の理想形ではない。だが、現実的な共存の一つの形だった。
性のない関係。情熱のない関係。だが、確かに「関係」は存在した。
私たちは、積極的に選んだのではなく、消去法で辿り着いた。だが、消去法で辿り着いた場所でも、二十年間、共に過ごすことはできる。それは、ある種の奇跡かもしれない。あるいは、ただの惰性かもしれない。
その区別は、もはやどうでもよかった。
いま、私たちは五十代半ばを過ぎた。
彼女の髪は、ほとんど白くなった。私の身体も、確実に衰えている。
だが、私たちの関係は、ほとんど変わらない。朝、彼女は庭に水をやり、私は遅く起きる。夕方、一緒に食事をし、夜、それぞれの部屋で眠る。
時々、彼女が私の部屋に来て、何も言わずに隣に座ることがある。私たちは、窓の外を眺める。
外では、セミが鳴き、ヤモリが壁を這い、バナナの葉が風に揺れている。
その風景は、二十年前とほとんど変わらない。
変わったのは、私たちの肉体だけだ。そして、その肉体さえも、やがて消える。
だが、この関係だけは、おそらく最後まで残るだろう。性も、情熱も、言葉さえも失った後に残る、**純粋な「共在」**として。
それは、最も深い絆なのか。それとも、最も深い隔絶なのか。
私には、まだわからない。
(注記:この章に登場する人物に関する記述は、プライバシー保護の観点から、具体的な個人情報は完全に匿名化されている。名前、出身地、詳細な背景は、すべて意図的に曖昧にされている。あるいは、この二十年間の関係性そのものが、私の孤独が生み出した長い夢であったとしても、この物語の本質は変わらない。現実と虚構の境界は、記憶の中で既に曖昧になっている。)







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