名前のない朝 第五章 新宿二丁目の夜

第五章 新宿二丁目の夜

神を諦めた私が次に向かったのは、その対極にある場所だった。

新宿二丁目。聖堂の静寂とは正反対の、ネオンと音楽と笑い声に満ちた街。祈りの代わりに酒があり、沈黙の代わりに喧騒があり、禁欲の代わりに欲望がある場所。

大学を卒業し、社会人として働き始めた二十代半ば。昼間の私は、スーツを着た無害な会社員だった。だが、夜になると、私は別の皮膚を求めて新宿へと向かった。

最初に足を踏み入れたのは、友人に誘われてのことだった。ありふれた理由。だが、その夜、私は初めて「居場所があるかもしれない」という幻想を感じた。

それは、救済ではなく、新しい形の迷いの始まりだった。


二丁目の路地は、迷路のように入り組んでいた。

古いビルの二階、三階に、無数のバーやクラブが隠れている。看板も控えめで、知っている者だけが辿り着ける秘密の通路のようだった。すれ違う人々は、皆、どこか「過剰」で、どこか「欠落」していた。男でもなく、女でもない。あるいは、その両方である人々。

ここでは「普通であること」が罪であり、「異形であること」が正装だった。

友人が連れて行ってくれたのは、小さなバーだった。カウンター席が七つだけの、狭い空間。マスターは四十代くらいの、落ち着いた雰囲気の男性だった。

「初めて?」

マスターが訊いた。私は頷いた。

「緊張しなくていいよ。ここは、みんな同じだから」

その「同じ」という言葉が、私の胸に深く刺さった。私は、ようやく「説明しなくていい場所」を見つけたような気がした。


私は週に三日、四日と、その街に通うようになった。

ここでは、私の白い肌や長い睫毛は「珍しいもの」ではなかった。むしろ、それは「普通」だった。美しい男性、女性的な男性、中性的な存在——それらはすべて、ここでは特別ではなかった。

私は、初めて「異常」ではない場所に辿り着いた。

だが、その安心感には、微かな違和感が混ざっていた。それは、まだ言語化できない、薄い膜のような隔たりだった。

私の友人たちは、ほとんど全員がニューハーフになった。リナ、ミキ、アヤ——彼女たちは、皆、美しかった。だが、その美しさは、私の美しさとは違っていた。

彼女たちの美しさは「獲得されたもの」だった。手術、ホルモン、メイク、服装。彼女たちは、自分の身体を「作り変える」ことで、自分の望む姿に近づいていた。

「あんた、ラッキーよね。何もしなくても、そのまま綺麗なんだから」

リナがそう言ったとき、私は何と答えていいかわからなかった。

彼女たちは、自分の身体を「選んだ」。私は、自分の身体を「放置した」。

選択と放置。その間には、深い溝があった。


ある夜、ミキのアパートで、私たちは朝まで話し込んだ。

「私ね、子どもの頃から、自分が女の子だって知ってたの」

ミキはそう言った。「鏡を見るたび、違和感があった。この身体は、私じゃないって」

私は訊いた。「手術したとき、怖くなかった?」

「怖かったよ。でも、それ以上に、このままでいることが怖かった」

彼女の言葉は、明確だった。彼女には「なりたい自分」があった。そして、その自分に向かって、痛みを伴う変容を選んだ。

私には、「なりたい自分」がなかった。私には、「なりたくない自分」もなかった。私には、ただ「自分がいない」という空白があるだけだった。

彼女たちは、自分を探していた。私は、自分を消していた。

その違いを、私は言葉にできなかった。


恋人もできた。

彼女の名前はサヤカだった。ニューハーフで、昼間はアパレルショップで働いていた。明るく、社交的で、私とは正反対の性格だった。

「あんた、不思議な子だね」

サヤカはよくそう言った。「何考えてるか、全然わかんない」

私は笑ってごまかした。だが、その言葉は真実だった。私自身も、自分が何を考えているのかわからなかったからだ。

サヤカとの関係は、穏やかだった。だが、そのすべてが、どこか「演技」のように感じられた。私は、恋人を演じていた。優しい言葉をかけ、適切なタイミングで笑い、相手が求める反応を返す。

だが、その技術の中に、「愛」はあったのだろうか。

感情とは、自己から湧き上がるものだ。だが、自己が存在しなければ、感情も存在しない。

私は、感情を「演算」していた。「この状況では、こう感じるべきだ」という論理的な判断を、感情だと思い込んでいた。

ある夜、サヤカが泣いた。

「あんた、私のこと、本当に好き?」

彼女はそう訊いた。私は答えに窮した。

「好きだよ」と私は言った。だが、その言葉は、空虚だった。

「嘘」

サヤカは言った。「あんたの『好き』は、本当の『好き』じゃない。なんていうか、義務みたいな『好き』」

私は、何も反論できなかった。なぜなら、それは真実だったからだ。


二丁目には、独自のヒエラルキーがあった。

美しい者、面白い者、金を持っている者。それが「強者」だった。外の世界で虐げられた私たちは、この狭い檻の中で、別の権力構造を作り上げていた。

「あの子、ブスよね」「あの子、つまんない」「あの子、もう終わってる」

カウンターの端で交わされる品評会。私たちは、差別される痛みを誰より知っているはずなのに、誰よりも残酷に互いを差別した。

それは、外の世界の「正しさ」とは別の、しかし同じくらい息苦しい「新しい正しさ」の押しつけだった。

ここは楽園ではない。ここは、敗者たちが互いに首を絞め合う闘技場だ。

二丁目は、たしかに「解放区」だった。だが、その解放には条件があった。「自分らしくいよう」「ありのままでいよう」「自由でいよう」——それらの言葉は、美しかった。だが、それらもまた、ひとつの「規範」だった。

私には、肯定すべきセクシュアリティも、受け入れるべき欲望も、抵抗すべき抑圧も、明確には存在しなかった。

私は、「抑圧されている」のではなく、「存在していない」のだ。


ある雨の夜、私は古い友人の「姉」と飲んでいた。

彼女はこの街で二十年生きてきたベテランだった。厚い化粧の下に、深い皺と疲労が隠されているのを私は知っていた。

「ねえ、あんた」

彼女は氷の溶けた水割りを見つめながら言った。

「この街はね、砂時計なのよ」

「砂時計?」

「そう。ひっくり返せば、また時間が始まる。夜が来れば、私たちは若返り、美しくなり、主役になれる。でも、朝が来れば、砂は落ちて、ただの疲れたおっさんに戻る。その繰り返し」

彼女は私を見て、寂しげに微笑んだ。

「あんたは、まだ若いからいいわ。でもね、いつか気づくのよ。この砂時計には、出口がないってことに」

その言葉を聞いたとき、私は恐怖を感じた。

居心地の良さは、しばしば檻の兆候である。

ここにいれば、私は傷つかない。だが、ここには「未来」がない。あるのは、永遠に繰り返される「夜」だけだ。


二丁目に通い続けて三年が経った頃、私はある確信に至った。

ここもまた、檻だった。

家族という檻、学校という檻、教会という檻。そして、新宿二丁目という檻。檻の材質は変わっても、「安心」と「同質性」という鉄格子は、いつも同じ形をしている。

私は、そこで学んだ。「同じ」であることは、「理解される」ことを意味しない。

彼女たちは、自分を「変える」ことで自由を得た。私は、自分を「消す」ことで自由を求めていた。その方向性は、正反対だった。

二丁目は、私の「居場所」ではなかった。それは、「居場所があるかもしれない」という幻想を提供する場所だった。


最後に二丁目を訪れたのは、二十八歳の冬だった。

いつものバーに立ち寄り、マスターと少し話をして、一杯だけ飲んで帰った。特別な別れの言葉も、感傷的な場面もなかった。ただ、「また来るよ」と言って、店を出た。

だが、私は二度と戻らなかった。

明け方、タクシーの中で、私は窓を開けた。冷たい朝の風を吸い込む。肺の中に残っていた甘い香水の匂いが、少しずつ薄れていく。

それは、私がまた一つ、居場所を失った匂いだった。

神も、欲望も、私を救わなかった。ならば、私は、もっと遠くへ行かなければならない。もっと深く、もっと暗く、もっと静かな場所へ。

新宿の夜の喧騒が、背後で遠ざかっていく。私は、振り返らなかった。

私には、どこにも属せない何かがあった。

そして、その「何か」を抱えたまま、私は次の場所へと向かわなければならなかった。