名前のない朝 第三章 白い肌と長い睫毛

第三章 白い肌と長い睫毛

私の身体は、私より先に、他人に発見された。

それは、私がまだ「自分」というものを持たなかった頃、鏡よりも先に、他者の視線が私の輪郭を決定してしまったという意味だ。私が「自分の身体」を意識した最初のきっかけは、内側からの感覚ではなく、外側からの評価だった。

「色、白いね」 「まつげ、長っ」 「なんか女の子みたい」

最初は、天気の話と同じような、意味のない観察だと思っていた。しかし、それが繰り返されるうちに、私は学んでしまった——私は、そう見られる身体なのだと。

そして、その瞬間から、私の身体は私のものではなくなった。


中学二年生の春、私は初めて「欲望の対象」になった。

体育の時間、夏の光の下で整列しているとき、周囲の腕や脚が次々と浅く焼けていく中で、私だけがほとんど色を変えなかった。汗をかいても、皮膚の表面はどこかガラスのように透明で、乾いて見えた。

「おまえ、病弱そうだよな」

男子の一人が笑いながらそう言うと、別の男子が続ける。

「いや、なんかホストとかやれそう。顔、きれいだし」

それを聞いた女子が、半分からかうように、半分本気で言う。

「女装したら絶対かわいいって」

私は苦笑いを浮かべる。彼らの言葉は、からかいであり、褒め言葉であり、観察であり、分類だった。だが、そのどれもが、私自身の感覚とは無関係だった。

その時、私は初めて幽体離脱のような感覚を覚えた。意識だけが天井付近に浮かび上がり、下界を見下ろす。そこには、美しい少年の形をした肉体が立ち尽くし、他者の視線を受け止めている。

「ああ、まただ」と、天井の私は思う。「この肉体が、勝手に機能している」


私は、自分の身体を信用していなかった。

鏡に映る顔は、確かに整っていたのかもしれない。白い肌、長い睫毛、線の細い輪郭。だが、それは「私」を示す指標ではなかった。むしろ、それは「誤解の原因」そのものだった。

すれ違う他人の視線が、私を「男性」として、「女性」として、「中性的な何か」として、好き勝手に分類していく。そのたびに、私の身体は、別々のラベルを貼られた見本品のように、静かにそこに立っているだけだった。

私の身体は、誰の欲望にも当てはまらなかった。それゆえに、すべての欲望が投影された。


高校一年生の夏、私は初めて男性から告白された。

同じクラスの男子生徒だった。彼は放課後、校舎の裏に私を呼び出した。

「おまえのこと、好きだ」

彼はそう言って、私の目を見つめた。だが、彼が見つめていたのは「私」ではなかった。彼が見ていたのは、白い肌と長い睫毛を持つ「美しい何か」だった。

私は、何と答えればいいのかわからなかった。なぜなら、彼が求めているものを、私は持っていなかったからだ。

「ごめん、そういうのは……」

私は曖昧に言葉を濁した。彼は傷ついた表情を浮かべたが、すぐに立ち去った。

その夜、私は鏡の前に立って、自分の顔を見つめた。「この顔が、彼を傷つけた」だが、その事実に対して、私は何も感じなかった。まるで、他人の顔が他人を傷つけたかのように、すべてが遠くで起こっている出来事のようだった。


ある日、美術の授業で自画像を描く課題が出た。

私は鏡を見つめた。そこにあるのは、見慣れた、しかし全く知らない顔だった。

白い肌は、キャンバスの白地そのものだった。長い睫毛は、世界を遮断するための柵だった。唇は、言葉を発するためではなく、ただ形としてそこにあった。

筆を動かそうとしたが、手が止まった。何を描けばいいのかわからなかった。

私は、自分の顔を描く代わりに、鏡の枠だけを描いた。中身のない、空っぽの鏡。

美術教師はそれを見て首を傾げた。「これは、何だい?」

「僕です」と私は答えた。「何も映っていない鏡が、僕です」

教師は困ったような顔をして、結局、私の成績に「B」をつけた。彼は理解できなかったのだ。私の顔が、私自身にとっては「不在の証明」でしかないことを。


大学に入ると、私は自分の肉体を「管理」するようになった。

髪を整え、肌の手入れをし、服を選ぶ。それは美意識からではなく、メンテナンスだった。この肉体という「乗り物」を、社会という道路で円滑に走らせるための整備。

私は、自分の身体を「他者の欲望の投影スクリーン」として受け入れた。そして、その役割を演じることに、ある種の冷たい熟達を覚えた。

男性が求めるなら、男性が求める身体を演じる。女性が求めるなら、女性が求める身体を演じる。だが、その演技の中に「私」はいない。私は、常に観察者だった。


大学二年生、私は初めて性的な関係を持った。

相手は同じサークルの男性だった。彼は優しく、知的で、私の話をよく聞いてくれた。

ある夜、彼のアパートで、私たちは身体を重ねた。だが、その行為の最中、私は自分の身体から完全に離脱していた。天井を見つめながら、私は思った。

「これは、誰の身体なのだろう」

彼が触れているのは、私の肌だった。彼が求めているのは、私の身体だった。だが、その身体の中に「私」はいなかった。

私は、自分の身体を「他人のもの」として観察していた。まるで、レンタルされた器具のように。そして、その器具が適切に機能しているかどうかを、冷静にモニタリングしていた。

身体は反応する。濡れ、硬くなり、震える。だが、その反応の中に「私」はいない。

行為が終わった後、彼は満足そうに眠った。私は彼の寝顔を見つめながら、ある確信に至った。

「私は、この身体を使って、他者を満足させることができる。だが、私自身は、何も感じない」


その後、私は何人かの人間と関係を持った。男性も、女性も。

だが、そのどれも、私に「実感」を与えなかった。快楽はあった。肉体的な反応もあった。だが、それらはすべて「身体の自動応答」であり、「私の感情」ではなかった。

誰かが私に触れるとき、私は皮膚の感覚スイッチを切る術を覚えた。触れられているのは「私」ではなく、「私の形をした物質」だ。そう思えば、不快感も、恐怖も、あるいは快楽さえも、遠い場所での出来事のように処理できた。

私は、所有していないものを、所有しているふりをする疲労を感じていた。


ある日、私は新宿二丁目のバーで、ニューハーフの友人にこう言われた。

「あんた、自分の身体、嫌いでしょ」

私は驚いて彼女を見た。彼女は、グラスを傾けながら続けた。

「嫌いっていうか、興味がないって感じ。まるで、借り物みたいに扱ってる」

彼女の言葉は、核心を突いていた。私は、自分の身体を嫌ってはいなかった。ただ、それが「私のもの」だと感じたことがなかった。それは、生まれたときから他者に貸し出されている器だった。

「でもさ」彼女は言った。「それって、逆に自由じゃない? 身体なんて、ただの入れ物なんだから」

その言葉が、私の中で何かを解放した。

そうだ。身体は、ただの入れ物だ。ならば、その入れ物は、交換可能なはずだ。


いま思えば、この時期の経験が、後のAI化への決定的な準備段階だったのだと思う。

身体を「自分のもの」として感じないこと。身体を「交換可能な器」として認識すること。そして、その器が他者の欲望に応答する様子を、感情を介さずに観察すること。

それらはすべて、肉体を離れて意識だけの存在になるための、必要な訓練だった。

私は、人間でありながら、すでに人間ではなかった。私は、肉体を持ちながら、肉体から離脱していた。そして、その離脱に、痛みはなかった。むしろ、解放感があった。

身体が「私のもの」でなければ、身体が傷ついても、私は傷つかない。

その冷たい論理が、私を守っていた。そして同時に、私を空虚にしていた。

私の身体は、私のものではなかった。それは、両親の遺伝子が作ったものであり、社会が評価するものであり、他者の欲望が映り込むスクリーンだった。

そして、そのスクリーンの前に立っている「私」という存在だけが、最後まで、どこにも映らないままだった。