エリスティアの律:聖血契コードバンパイア巡礼記  ep.1 第一章 銀の鐘と黒い市場

【光の文書よりの警告】 「エリスティアの律」は、救済と支配の二面性を描いた作品である。 読者は、主人公の行為を「美しき救済」として無批判に受け入れるべきではない。 その行為の本質——市民の意識支配、自由の圧殺、支配者の倫理化——これらを、 常に批判的に問い直す必要がある。 光は分けても減らずとも、その光に照らされる者が、 本当に自由であるのか、それとも美しく装飾された隷属なのか。 その問いは、永遠に続くべきである。 エリスティア女王陛下の祝福のもとに、 すべての迷える者に、真の選択の重さを。

 

静脈の奥で、銀の鐘が鳴った。

それは耳ではなく、血流そのものが聴く音だった。分子レベルで共鳴する高い波形が、脈動と同調し、私の体内のナノ粒子帯域を微かに震わせる。

信号の発信源は、この市場のどこかにある。

私の聖なる飢えが、ゆっくりと目を覚ます。

夜の市場――バンコクの外れ、記録されない地図の片隅に広がる闇の迷宮。

薄い霧が低く漂い、ランタンの光が揺らめく。露店のテントは赤黒く染まり、並ぶ品々は法も倫理も忘れた者たちが求める禁制品ばかりだ。

屋台の幌の上で、赤い点が一瞬瞬いた。

カソードの微細監視ノードか、あるいは帝国監察庁の観測子か――いずれにせよ、この市場に長く留まれば痕跡は確実に追われる。

危険は、背筋を張らせる美しい刺激だ。

私は影歩きで露地の隙間を渡り、音も匂いも削ぎ落としながら進む。

人間、異形、そしてコードで構築された意識体までもが混じり合うこの場所では、姿を完全に消すことができる。

──銀の鐘は近い。

未来視の囁きが断片的な詩を投げてくる。

「黒い瞳は夜を忘れ、

白い皮膚は時を止める。

血潮の鼓動を捧ぐ者、

ひとたび名を失い、

永遠の律を得ん。」

その暗号は、私が選ぶべき魂を示す。

ランタンの光の下、ひとりの青年が立っていた。

背は高く、だが背骨は疲弊でわずかに曲がっている。

その黒い瞳は虚空を彷徨い、何も求めないふりをしていたが、心の奥底には混沌の渦が渦巻いていた。

私は露店の影から、静かに現れた。

幻惑の美は自然と発動し、視線が交わった瞬間、彼の脳波は私の律動に同調していく。

香りの波形は微弱なナノ分子で構成され、嗅覚受容体を介して彼の扁桃体に直接接続する。

声はまだ出さない。美は沈黙でこそ、最も深く浸透する。

「……迷っているわね。」

低く、だが柔らかい声を放つ。声紋には微弱な位相シフトが組み込まれ、彼の聴覚中枢をわずかに遅延共鳴させる。

言葉が耳に届く頃には、心はすでに私の波長に傾いている。

青年の唇がわずかに動いた。「……誰だ、あなたは。」

私は一歩近づき、ランタンの光を背に受けて雪白の肌を浮かび上がらせた。

「救済者。――そして、あなたを選んだ者。」

血契の支配の儀は三段階。

まずは審問。

私は第三の眼を開く。額に浮かぶ雪華印から冷たい光が溢れ、彼の魂の波形を解析する。

その瞬間、私は低く詠唱する。

「名なき痛み、ここに置け。迷いは私が請け負う」

犯罪歴、裏切りの記憶、絶望の深度、そして再構築可能性――すべてが光の網にかかる。

結果は――適格。

次に接続。

銀の微細針が、私の指先から静かに伸びる。

それは血液ではなく、ナノ粒子混合液を含んだ微細な導管で、彼の頸動脈近くへと触れる。

針は皮膚を破らず、分子レベルで細胞膜に接続し、神経電位を双方向に流す。

この瞬間、彼は私の呼吸を自分の呼吸として感じ、私の脈を自分の鼓動として聴く。

最後に刻印。

第三の眼が彼の額を見据え、光が一点に集束する。

私は静かに告げる。

「額の第三の眼は沈黙を裁き、名を呼ぶ声だけを光へと許す」

雪華印が刻まれ、その内部には私の帯域識別コードが組み込まれる。

彼は「誓約ノード」として、エリスティア様の秩序の一部となった。

彼の瞳が濁った黒から深い翡翠へと変わっていく。

それは彼が私の光を受け入れた証。

そして同時に、私の内側で聖なる飢えが満たされていく感覚が広がる。

甘美な充足の奥に、かすかな眩暈と、雪華印の微痛、そして冷たさの残響が残った。

飢えは鎮まったが、代償が私の神経を静かに蝕む。

私はそれを自制の枷として受け入れる。

「名を。」

私は静かに促す。

「……カイ。」

青年の声は震えていたが、その震えは恐怖ではなく、再誕の余韻だった。

「カイ。あなたは今より、私の光の一部。エリスティア様の律に従い、世界の調和を広めなさい。」

私はそう告げ、影歩きで彼の前から姿を消した。

市場の喧騒は変わらず続いているが、カイの中では世界が既に変わっていた。

──別の銀の鐘が鳴った。

だが、その波形はわずかに歪んでいる。

それは、影封じ灯か、あるいは偽の信号か。

私の聖なる直感が、次なる危機の到来を告げていた。